パット・ゲルシンガー氏は、半導体メーカーの世界的企業であるインテルで2021年に新CEOとなった人物です。かつて2009年に同社を去りますが、18歳で入社してからの多大な実績があり今後の活躍が注目されています。これまでの歩みを知れば、どれだけ優れた実力があるか分かるでしょう。そこで今回は、インテル入社からの長年にわたるキャリアなどをご紹介します。

18歳でインテル入社

パット・ゲルシンガー氏は、18歳の若さでインテルに入社した人物です。入社後は大学に通いながら働くなか、アンディ・グローブ氏との出会いを果たします。

大学との両立

ゲルシンガー氏は、インテルに入社するとフルタイムで働きながら大学に通う生活を送り始めました。

最初は、品質保証担当技師として勤務します。すぐ自分の仕事に魅力を感じ、大きな成果を上げたいとの思いが強くなりました。そのため、大学の課題がなければ何十時間も業務に没頭したといわれています。

ただ本人は、すでにアルバイトしながら高校の卒業資格と短期大学の準学士号をほぼ同時に取得していました。多忙な生活は経験済みであり、大学との両立も「好きなことをしてお金までもらえる」と感じていたようだと伝えられています。

アンディ・グローブ氏との出会い

ゲルシンガー氏は、インテルに入社してから数年後にアンディ・グローブ氏と出会いました。

グローブ氏は、同社で3代目のCEOを務めた人物です。会社を世界的な巨大企業に育て上げた功績で創業者の1人に数えられることが多く、伝説の起業家としても広く知られています。

そんな偉大な人物に、ゲルシンガー氏はメンターを買って出ました。これが契機となり、グローブ氏のもとで働き始めます。本人は、当時の様子を厳しい上司だったが仕事の様子を見ながらいろいろ学んだと振り返っています。

グローブ氏の影響

ゲルシンガー氏が、グローブ氏から受けた影響は小さくありません。なかでも、かつて退社を考えていたとき引き止められたエピソードは有名です。

同氏は1985年にスタンフォード大学の大学院で修士号を取得すると、博士号取得のため退社の意思を固めました。翌年、その経緯を知ったグローブ氏はゲルシンガー氏を重要な職務に任命します。

その職務は、80486プロセッサのデザインマネージャーです。当時、同プロダクトは半導体業界で注目され、インテルにとって主力事業となる看板製品でした。ゲルシンガー氏は大きなチャンスを与えられたと理解し、チームの責任者を引き受けます。

インテルでの功績

パット・ゲルシンガー氏は、さまざまな事情で2009年に同社を一度退社するまで30年にわたり多くの功績を残しました。

功績1:80486プロセッサ

ゲルシンガー氏がインタビューで過去に成し遂げた成果のベスト3を聞かれた際、最初に挙げたのは先にも述べた80486プロセッサです。

同氏はデザインマネージャーになる前から、このプロセッサの開発に設計者の立場で深く関わっていました。さらに重要なプロジェクトを任され、何としても成功させたかったと振り返っています。

「今思うとアンディはクレイジーだったんじゃないかとさえ感じる」などの言葉を聞くと、若干25歳で責任者になったことは大きな驚きだったのかもしれません。それでも製品化まで見届け、いまも「僕のプロセッサ」と呼ぶとのことです。

功績2:初のCTO就任

ゲルシンガー氏が80486プロセッサに続いて2番目に挙げた功績は、初のCTOに就任したことです。

CTOは「Chief Technology(Technical) Officer」の略であり、最高技術責任者を意味します。インテルでは新しく生み出された役職であり、初の就任を責任重大と感じつつも大いに興奮したと話しています。

また、これまでインテルのテクニカルビジョンは、実質的に創業者たちが動かしてきました。そのためゲルシンガー氏にとってCTO就任は創業者の跡を継ぐような意味があり、数々のキャリアのなかでも非常に大切なものとなっています。

功績3:シェアの奪還

ゲルシンガー氏が最後の3番目に挙げた功績は、当時のライバル社からシェアを奪還したことです。

インテルは、長きにわたり半導体メーカーのトップに君臨しているイメージがあるかもしれません。ただ実際は、2003年にライバル社が新たなサーバー用プロセッサを発表すると、徐々にインテルのシェアは失われていきました。

その際、ゲルシンガー氏はライバル社と競うため責任者に任命されます。同氏の指揮のもとインテルは新製品の発表を続け、やがてシェアを回復しました。現在も業界内で高いシェアを誇り、ゲルシンガー氏は大きな功績を残したと考えています。

挫折からCEO就任へ

パット・ゲルシンガー氏がインテルにもたらした功績は大きいものの、すべてが順調に進んだわけではありません。2009年の退社までには、さまざまな挫折も経験しています。

仕事での挫折

ゲルシンガー氏にとって仕事上の大きな挫折は、自身が責任者を務めていたプロジェクトの失敗です。

1996年、同氏はPCベースのビデオ会議システムの責任者でしたが、プロジェクトの不振により解任されました。この失敗は、これまで成功が続いたインテルの仕事で最初の挫折だったといわれています。

当時のことを、いまもゲルシンガー氏は忘れていません。ひどく落ち込んだため、その日はランチタイムに帰宅します。普段は昼間に帰宅したことがなく、家族には驚かれたとの話です。

新たな道へ

インテルで大きな挫折を味わったゲルシンガー氏ですが、そこで立ち止まらず新たな道へ進みます。

同氏が選んだ次の進路は、EMCへの移籍です。当時、インテルとEMCは長年のパートナー関係を築いていました。ゲルシンガー氏もEMCのCEOであるジョー・トゥッチ氏や幹部と深い親交があり、トゥッチ氏から誘いを受けます。

その頃、家庭は子どもたちが巣立ち、転機を迎えるのに適していました。また以前に上司から前進を促すアドバイスを受けた影響もあり、長く親しんだ職場から新天地へ踏み出すことを決意します。

EMCに移籍後はファイナンスの分野について学ぶ機会を与えられ、新たなキャリアを積み上げられました。

そんな経歴を歩んだゲルシンガー氏は2021年に再びインテルへ復帰し、CEOに指名されます。まだ就任から間もなく目立った結果は出ていませんが、数十年にわたる実績があり周りから今後の活躍を大いに期待されています。

まとめ

パット・ゲルシンガー氏は、18歳でインテルに入社してから数々の結果を残してきた実力者です。仕事上の失敗などで一度は退職しますが、2021年に呼び戻されCEOに就任します。

今後は、これまでに培った知識やスキルを活かしインテルのトップとしても力を発揮すると見込まれています。