中田卓也氏は、2017年からヤマハ株式会社の取締役・代表執行役社長を務めている人物です。学生時代はギター演奏やバンド活動に熱を入れ、ヤマハに入社後は楽器開発や音楽制作の分野で新しい感動の提供に力を尽くしています。その人物像は、いまのヤマハの魅力を伝えてくれるでしょう。そこで今回は、中田氏の生い立ちや社長としての考え方などをご紹介します。
生い立ちや職務経歴
中田卓也氏は、岐阜県出身の社長です。地元の高校を出ると都内の大学に進み、卒業後は日本楽器製造株式会社(現ヤマハ株式会社)に入社します。
生まれ育った環境
中田氏は、1958年に岐阜県瑞浪市で生まれました。周囲に地名の由来となった川のほか山や湖も広がるなか、高校時代までを過ごします。
瑞浪市の地名は、水(土岐川)の南また瑞穂が波打つといった意味があります。土岐川は、伊勢湾へ注ぐ河川です。市内には木曽川も流れ、さらに屏風山や小里川湖・笠置湖・松野湖があります。
同市は、焼き物や化石でも有名です。美濃焼は、志野や織部をはじめ古くから全国各地で愛用されてきました。化石については、絶滅した哺乳類「デスモスチルス」の頭骨化石が世界で初めて発見されたことで知られています。
学生時代
豊かな自然や多くの文化資産に恵まれる生活環境のもと、中田氏は幼い頃に音楽と出会います。
小学校時代の中田氏は、兄の影響もありギターを弾き始めました。すでに、ヤマハ音楽教室で学んだ後のことです。楽器との関わりは長く、その腕前はメディアなどで披露されています。
中・高時代は、陸上部に所属するとともにバンド活動に熱中した時期です。大学時代は地元を離れ、シンセサイザーなどを使いながら音楽を制作しました。いまも趣味はギター演奏であり、好きなロックバンドも公表しています。
就職後の職務経歴
大学卒業後、現在のヤマハ株式会社に入ると電気機器や電子楽器の企画・開発を手がけます。
同社への就職は、いまでは老舗となったライブハウス「shibuya eggman」が東京都渋谷区にオープンした1981年です。同年には、米国で音楽専門チャンネルの「MTV」も開局します。
2005年、入社から20年以上が経過するとPA・DMI事業の部長に就任しました。その後は執行役員やヤマハコーポレーションオブアメリカ取締役社長などを経て、2013年に同社の代表取締役社長になります。
現在はヤマハ発動機株式会社社外取締役・一般財団法人ヤマハ音楽振興会理事長・ヤマハ株式会社取締役・代表執行役社長などを務め、力を発揮しています。
中田卓也氏の考え方
中田卓也氏の哲学によれば、ヤマハの理念は「人間必需品産業」です。この理念のもと、「感動と豊かな文化」の提供に尽力しています。ただ、会社を取り巻く現状には危機感を抱いています。
人間必需品産業
ヤマハが提供するものは、中田氏の言葉を引用すると「人間が人間らしく生きるために必要な商品」です。
同氏の考え方をふまえると、ヤマハの事業は生活必需品ではありません。人間は楽器がなくても生きていけるため、食べ物などと異なり何か魅力がなければ価値を認めてもらえないと述べられています。
この「生活必需品ではない」との強い認識が、中田氏にとってヤマハの事業戦略のスタート地点です。ここから、「新しいもの、経験したことがないものこそ、価値がある」とするヤマハの戦略は生まれると述べています。
企業スローガン
中田氏が自身の哲学にもとづき掲げる企業スローガンは、「感動を・ともに・創る」です。
ここでの感動は4つあり、「夢中になれる愉しさ」「心惹かれる美しさ」「自信を持てる確信」「新しい可能性に気づく発見」を意味します。同氏は、これらを「お客様に提供できる価値」と定義しています。
通常、商品に会社のロゴマークが入ることは珍しくありません。ただ中田氏は、「感動を生み出す商品を出し続けることで、お客様はヤマハのロゴを見なくても、ヤマハの商品だと伝わるときがくるようにしたい」と願っています。
現状認識
中田氏は、会社の現状について楽観していません。全体的な売上高は良好と見られますが、商品によっては危機感があると語っています。
これまでヤマハは音楽教室の拡大が家庭での楽器の需要増加につながり、ピアノの販売数は伸びました。さらに日本の住宅事情に合わせたサイレントピアノの開発により電子楽器は技術分野が成長し、現在の楽器売上の多くを占めています。
それでも危機感を抱く背景には、コンサートグランドピアノなどのブランド力の弱さがあります。とくに多くのプロが選ぶブランドは、米国のスタインウェイです。ヤマハでは、その牙城を崩すことが悲願となっています。
新たな挑戦
現在、ヤマハは中田卓也氏のもと楽器開発と音楽制作の両分野において新たな価値の提供に挑戦中です。
楽器開発
最近、ヤマハが開発した魅力的な楽器のひとつにトランスアコースティックギターがあります。
このギターの大きな特徴は、デジタル技術を用いた機能とともにアコースティック方式で音を発する技術も搭載している点です。これらを兼ね備えた新しいギターは、アンプやスピーカーに接続せず楽器本体の振動でエフェクト音を出せます。
中田氏によれば、あくまで楽器そのものは「普通のフォークギター」です。ただ演奏した際、「お風呂やトンネルの中で弾いたような音」が響きます。新たな技術が活かされたギターは、「楽器の可能性を広げていく」と説明されています。
音楽制作
音楽制作の分野でヤマハの技術が世界的なブームにつながったケースは、歌声合成ソフト「ボーカロイド」です。
同ソフトは、メロディーと歌詞が入力されると歌声に変換する機能を有します。もともと中田氏がPA・DMI事業部の副事業部長であった2004年に、ヤマハが誰でも楽曲を制作できるソフトとして開発しました。
世界中の注目を集めた大きな要因は、3年後にクリプトン・フューチャー・メディア社が制作したバーチャルシンガーの登場です。魅力あるキャラクターも加わり、ボーカロイドは多くの人々に感動を提供する商品になりました。
また現在、ヤマハは新興国の公立小学校で音楽普及活動も積極的に進めるなど、さまざまな挑戦に取り組んでいます。
まとめ
中田卓也氏は幼い頃から楽器に親しみ、現在はヤマハ株式会社で取締役・代表執行役社長を務めるなか数々の挑戦を続けています。
ヤマハは世界有数の楽器メーカーとして知られますが、中田氏は現状に満足していません。「感動を・ともに・創る」の企業スローガンのもと、新しい楽器の開発から音楽制作や音楽普及活動まで多くの感動を提供するため幅広く力を注いでいます。